逆に私自身が子供たちから教わることもたくさんあります。
授業の中で、梓が成長していくことに伴う「親としての喜びと不安」にはどんなものがあるかを挙げてもらうくだりがあります。
黒板を上下半分に分けて横線を引き、上半分に喜びを、下半分に不安に思われることを書き出していきます。
中学生になれば勉強が分からなくなって困るのではないか。
やんちゃな子たちからいじめられるのではないか……。
将来に対する不安が次々と挙げられる中、こんなことを口にした子がいました。
「先生、真ん中の線はいらないんじゃない?」。
理由を尋ねると
「だって勉強が分からなくても周りの人に教えてもらい、
分かるようになればそれが喜びになる。
意地悪をされても、その人の優しい面に触れれば喜びに変わるから」
これまで二つの感情を分けて考えていたことは果たしてよかったのだろうかと自分自身の教育観を大きく揺さぶられた出来事でした。
子供たちのほうでも授業を通して、それぞれに何かを感じてくれているようです。
「もし将来僕に障がいのある子が生まれたら、
きょうの授業を思い出してしっかり育てていきます」
と言った子。
「町で障がいのある人に出会ったら
自分にできることはないか考えてみたい」
と言う子。
「私の妹は実は障がい児学級に通っています。
凄くわがままな妹で、喧嘩ばかりしていました。
でもきょう家に帰ったら一緒に遊ぼうと思います」
と打ち明けてくれた子。
その日の晩、ご家族の方から学校へ電話がありました。
「“お母さん、なんでこの子を産んだの?”と
私はいつも責められてばかりでした。でもきょう、
“梓ちゃんの授業を聞いて気持ちが変わったけん、
ちょっとは優しくできるかもしれんよ”と、
あの子が言ってくれたんです……」。
涙ながらに話してくださるお母さんの声を聞きながら私も思わず胸がいっぱいになりました。