2011年3月11日。
宮城県の太平洋海底沖を震源地として発生した日本周辺観測史上最大の地震を誰も忘れることはできないでしょう。
日本中が大パニックに陥り、ライフラインだけでなく、鉄道や道路航空といった交通網も一切ストップしてしまう事態に。
JALのいい話が流れてきたので、僕もひとつJALのいい話を。一生忘れるはずのない2011年3月12日。前日午後は全便欠航。急遽帰宅しようとする人(僕もそうだ)も加わってごった返す新千歳空港で、何とか夜の羽田行きJAL便のチケットが取れた。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) April 11, 2017
ライターとして世界中を旅しながら仕事をしている大貫剛(@ohnuki_tsuyoshi)さんは、その日、北海道にいたそうです。
当然のように全便欠航で、翌日帰京するために、やっとの思いでJAL便のチケットを入手し、新千歳空港から羽田便に搭乗した大貫剛さんは、機内アナウンスがどうしても忘れることのできないものだったとのことですが、その内容とは一体?