「命のビザ」で6千人のユダヤ人を救った『日本のシンドラー』杉原千畝さんの功績をご存知でしょうか?

2015.10.31 topics

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ここから「日本のシンドラー」と呼ばれる杉原千畝さんのユダヤ人救出が始まります。
 

杉原千畝さんのビザの発行作業は、約1ヶ月間に及び、カウナス領事館が閉鎖され、外務省からベルリンへの移動命令を無視できなくなる限界ギリギリまで、寝る間を惜しんで必死に続けられたと言います。
 
その数は記録されているだけでも2139枚に及び、実際は推定6000人ものユダヤ人のためにビザを発行したそうです。
 
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その限界ギリギリまでの発行について、このように記録されています。
 

 

ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして「列車と並んで泣きながら走っている人」が、千畝たちの「姿が見えなくなるまで何度も叫び続けて」いた。

引用:ja.wikipedia

 

 

その後チェコ、ルーマニアなどで勤務し、帰国退職通知を受けて46年に帰国し外務省を退職。
その際に外交官名簿から削除されるという処遇を受けたのです。
 
退職後は長年に渡り中傷を受け続けてきましたが、1985年に日本人唯一、自分の命の危険を冒し、ユダヤ人の救ってくれた非ユダヤ人を表す「ヤド・バシェム賞」を受賞しました。

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