また、バンコクではヒッチハイクで乗せてもらった親切な人に、日本料理店の皿洗いのアルバイトを紹介してもらいます。
このあとも、企画の途中では、職探しと労働をする様子がたびたび映しだされていますが、外国人が現地で就労するには専用のビザが必要だそうです。
猿岩石が観光ビザで入国していた場合は、すべて不法就労となり、海外でお金がなくなったら行く先々で稼ぐという、旅のスタイルは実際、ほとんど不可能なのだとか。
そして、多くのバックパッカーからのツッコミが入ったのは、ミャンマーでの出来事。
さもヒッチハイクで移動したようにも見えますが、実際は飛行機での移動をしているのです。
当時ミャンマーは軍事政権下では陸路の移動制限がされており、さらに入国時には一人300米ドルの強制両替というものが存在していました。
そして、ミャンマーの次に、インドへ入国をしますが、インドの次に入国するイランのビザ代確保に苦戦します。
請求額は3500ルピー、この金額は日本円にすると約1万3000円ほど。
しかし、現地の価値では約100万円となるのです。
直前に働いていたカーペット工場の日給はひとり50ルピーであることから途方もない金額として絶望の淵に立っていたのですが、そのタイミングで、助っ人として「爆風スランプ」が登場し、路上ライブで3500ルピーを稼ぎ出したのです。
しかし、このことに対し、
マドンナや、マイケルジャクソンでもこんなに稼げないのに、しかもちょうどビザ代が払える金額、ミエミエである”(p.85)(※相場は95年当時のもの)