人間魚雷「回天」は、冒頭でも述べた通り人間もろともに体当たりし、命と引き換えに敵艦を沈める兵器。
つまり、一度出撃すれば生きて帰ることはできません。
この兵器により、104人もの乗務員が命を落としたと言われています。
「回天」は空母を沈められるほどの破壊力を持ち、昭和17年6月のミッドウェイ海戦以降に敗北を続けることによって、この兵器の使用が検討され始めたそうです。
いわゆる「特攻作成」であるため、当時は相当辛い状況だったのでしょう。
そして、昭和19年。
海軍はこの「回天」の開発を開始します。
搭乗員が生存できる可能性を残すために、脱出装置をつけることが条件だったそうですが、機能上、開発することが難しく、脱出装置を作ることは断念。
そうして「回天」は乗り込めば2度と帰ってこれない、「人間魚雷」が完成してしまったのです。
この回天の訓練を行った基地は、瀬戸内海にある大津島。
そこには全国から400人以上の若者が「回天」に搭乗するために集まったそうです。
「回天」の基地があったのは周南市の大津島。回天とは太平洋戦争末期に開発された人間魚雷で、1.55トンの爆薬を装填していました。
生きては帰れない一度だけの出撃、10代20代の青年たちはどんな気持ちで訓練をしていたのでしょうか…。 pic.twitter.com/iwXMHjqFBv— おいでよ関門 (@ei__yu) 2016年8月16日
これに志願したのは海軍兵学校や予科練の出身者たち。
訓練基地に着いて、そこで初めて「回天」の詳細を聞かされたそうです。
と彼らは説明を受けました。
操縦席には自爆装置がついており、気を失って前傾姿勢になれば、爆発する仕組みになっていたようです。
つまり、たとえ命中しなくても、命を落とす兵器に変わりはなかったのです。
回天の志
これが貴様たちが乗る一人乗りの人間魚雷である。もちろん、一度出発したら、絶対に帰ってくることはできない。嫌だと思うものは、遠慮なく申し出ろ。俺が責任を持って原隊に帰してやる。https://t.co/641nbtswZtpic.twitter.com/83tMbw33vI— 真実の日本 すめらぎいやさか (@W109_300SEL63) 2016年8月15日
そして、訓練が始まった時点で、多くの問題が発生していたそうです。
この「回天」の操縦席は、電球一つだけの非常に狭い空間。
そのため身動きをうまく取れず、操縦が困難だったといいます。
そうした要因があってか、本番前の訓練では海中に突撃してしまったり、エンジントラブルなどの事故が続出し、15名が命を落としてしまったのです。
訓練中から不安要素の多い「回天」ですが、上層部はこの「回天」の使用を諦めず、特攻作戦を決行。
しかし、この作戦は悲惨な結末を迎えることに・・・