突撃したら2度と生きて戻れない 人間魚雷「回天」戦時中に行われた悲劇の作戦をご存知ですか?

2016.08.18 topics

sam1

 

人間魚雷「回天」は、冒頭でも述べた通り人間もろともに体当たりし、命と引き換えに敵艦を沈める兵器。
 
つまり、一度出撃すれば生きて帰ることはできません。
 
この兵器により、104人もの乗務員が命を落としたと言われています。
 
「回天」は空母を沈められるほどの破壊力を持ち、昭和17年6月のミッドウェイ海戦以降に敗北を続けることによって、この兵器の使用が検討され始めたそうです。
 
いわゆる「特攻作成」であるため、当時は相当辛い状況だったのでしょう。
 
そして、昭和19年。
海軍はこの「回天」の開発を開始します。
 
搭乗員が生存できる可能性を残すために、脱出装置をつけることが条件だったそうですが、機能上、開発することが難しく、脱出装置を作ることは断念。
 
そうして「回天」は乗り込めば2度と帰ってこれない、「人間魚雷」が完成してしまったのです。
 
この回天の訓練を行った基地は、瀬戸内海にある大津島。
そこには全国から400人以上の若者が「回天」に搭乗するために集まったそうです。
 

 
これに志願したのは海軍兵学校や予科練の出身者たち。
訓練基地に着いて、そこで初めて「回天」の詳細を聞かされたそうです。
 

「前方部分につめられた爆薬は、それまでの魚雷の3倍。必ず空母を沈められる」

 
と彼らは説明を受けました。
  
操縦席には自爆装置がついており、気を失って前傾姿勢になれば、爆発する仕組みになっていたようです。
  
つまり、たとえ命中しなくても、命を落とす兵器に変わりはなかったのです。
 


 
そして、訓練が始まった時点で、多くの問題が発生していたそうです。
 
この「回天」の操縦席は、電球一つだけの非常に狭い空間。
そのため身動きをうまく取れず、操縦が困難だったといいます。
そうした要因があってか、本番前の訓練では海中に突撃してしまったり、エンジントラブルなどの事故が続出し、15名が命を落としてしまったのです。
 
訓練中から不安要素の多い「回天」ですが、上層部はこの「回天」の使用を諦めず、特攻作戦を決行。
 
しかし、この作戦は悲惨な結末を迎えることに・・・

編集部 Pick Up!

同じカテゴリーの記事