母親はパートに出ていて、5時まで家に帰ってきません。
大きな声を出して泣くと、同じ団地に住む同級生にバレて、翌日クラスでバカにされます。
だから僕は、いつも年中置きっ放しのコタツに、頭だけを突っ込んで泣いていました。
母は、僕がイジメに遭ってるだろうことは、薄々感じてるようでした。
だけど、そのことで、母は学校やイジメっ子の家には行きませんでした。
…というより行けなかったのです。
親父が大変厳しい人だったから。
親父は侍みたいな人で、柔道の有段者でした。
バツイチで、僕が生まれた時には、50歳を過ぎてました。
世間では年取ってからの子は可愛い、というそうですが、親父は、この上なく厳しく、僕にとっては、いじめっ子よりも怖い存在でした。
親父は、子供のケンカには、絶対に大人が入らないように、母に言ってたのです。
ある日、いつものようにイジメられて、泣いて帰ってきたら、そこに親父がいました。
会社の創立記念日らしく、半日勤務で、午後から帰ってきてたのです。
親父は、泣いていた僕に向けて、いきなり平手打ちを飛ばしました。
そして、家の外に放り出し、
「泣かした相手を泣かしてこい!
さもなくば、帰ってくるな!」
と、ドア越しに怒鳴りつけました。
僕は途方に暮れて外にいると、いじめっ子が通りかかり、またイジメられてしまいました。
たまたま通りかかった母が助けてくれたのですが、僕はその日10時まで家に入れてもらえませんでした。
そんなあまりにも情けない僕を見かねて、母が空手教室を僕に勧めました。
とんでもない、そんな所とても怖い、嫌だ、と断固として僕は拒否しました。
しばらくして、母は今度は「ピアノ教室に行こう」と言い出しました。
こちらは面白そうだし、友達もできそうだし、喜んで母についていきました。
しかし、そこはピアノ教室ではありませんでした。
なんと集会所の空手教室だったのです。