萩野と瀬戸の「ライバル関係」二人の決着の舞台は東京五輪へ…!

2016.08.09 topics

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萩野選手は小学生時代から怪童といわれ、エリート街道を歩んできました。自分1人で何でもできると思い上がった面もあったと打ち明けます。
 

「自己中心的な考えがあった。自分さえ良ければと。平井先生に対しても受け身になっていた」
 

 
順調なときは自分だけを頼ればいいという思いもありましたが、瀬戸選手に対して不安を抱いたり、弱気になったとき、1人ではどうしても行き詰まってしまいます。
 
12年のロンドン大会後は、その繰り返しで、骨折した右肘以上に、萩野選手の心は悲鳴をあげていました。
 

速いだけの自分のままだったら聞き流していたかもしれない。
ケガをして孤独に苦しんでいたからこそ、客観的に自分を振り返られたと萩野選手は語ります。
 

 
「ストンと胸に落ちた。技術どうこうより、人間としてどうだったか。信頼する人がいるからこそ、スタート台の前に立ったときに、1人じゃないとか、感謝の気持ちが浮かぶ。もっと人に頼っていい」
 

 
この時、平井コーチから常に言われていた「何でも言え」「弱い自分、ありのままの自分をさらけ出せ」という言葉がやっと理解ができたのだとか。
 
そういったものの、簡単に人間は変わりません。
1月の東京選手権。調整不足の瀬戸選手に対して弱気になり、接戦で辛勝した際に、テレビの会見で平井コーチに激怒されてしまいます。
 

 
「心技体の心が足りない。強く言いたい。もう許さない」
 

 
3月のスペイン・高地合宿では引退した北島康介選手と同部屋になり、強烈な勝負魂を授かったのだとか。
 
5月からは約2カ月半の欧州遠征。平井コーチとは毎食、一緒に食事を取り、水泳以外の部分でも語り合い、信頼関係を深めたそうです。
 
その一方で、苦手意識のあった瀬戸選手への闘争心は高まりました。
 

 
「この4年間、ぼくが一番波瀾(はらん)万丈だと思う。でもその分、気持ちは強くなった。いい時も悪いときもプールはそこにある。永久不変。でも泳ぐ本人の気持ち、コンディションが違うと、プールは違った対応をしてくる。どう向き合うか。だから真摯(しんし)に向き合う。今はウエルカムです」
 

 
「心技体」抜けていた”心”を身に付けた萩野選手に、勝利の女神は微笑みました。
 


Writing by Y.sato of cadot


出典:https://www.undotsushin.com/p/55246/


画像引用元:https://oimoko0115.wordpress.com/tag/瀬戸大也/


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