ポンペイの遺跡とは
62年2月5日、ポンペイを襲った激しい地震によりポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。町はすぐに以前より立派に再建されたが、その再建作業も完全には終わらない79年8月24日の午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。
翌25日(噴火から約12時間後)の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。軍人でもあった博物学者のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は、ポンペイの市民を救助するために船で急行したが、煙(有毒火山ガス?)に巻かれて死んだことが甥のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)による当時の記述から知られている。
翌25日(噴火から約12時間後)の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。軍人でもあった博物学者のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は、ポンペイの市民を救助するために船で急行したが、煙(有毒火山ガス?)に巻かれて死んだことが甥のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)による当時の記述から知られている。
子どもを抱いたまま噴火に飲み込まれた石像化した母子
我が子を抱きしめたまま火砕流に飲まれ、地中に埋まってしまった母親、その他多くの人々が一瞬にして亡くなってしまった遺跡が復元されました。
こちらがポンペイの遺跡です。
どれほどの時が経っても、母が子を思う気持ち、守り抜こうとする愛は変わらないんだなと実感します。
避けられない自然災害
現在は噴火予知の技術が発展してきたことにより、災害から避難できる可能性が高まりましたが、地震においてはまだ予知が難しく、突然襲いかかります。
自分の愛する子供を守るためにも、現代に住む私たちは常に子供を守る手段を考えておく必要があるのではないでしょうか。
Writing by S.Shingo of cadot
あなたにお届けします。
【あなたの「旬」な話を募集しています】
Cadot-カド-では、読者様の実際に体験した話や知っている裏話などを募集しています。
Cadot-カド-で取り上げて欲しい話がありましたら、こちらまでメールをお願いいたします。
※採用された場合、公開前に記事内容の確認のメールを差し上げます。
また、全ての話を採用する訳では御座いません。予めご了承くださいませ。