以下引用です。
先日、所用があり参議院を訪れた時のことだ。
入り口中央には赤じゅうたんが敷いてあり私はなんら躊躇することなくそこから中へ入ろうとした。
その瞬間、守衛から怒鳴られ制止された。
「こら、そこを歩くな。横の通用口から入りなさい。そこは議員さんが通る場所だ」
私は怒鳴り返した。
「ちょっと待て。そんなことどこに書いてある。
書いてもいないのになぜ、いきなり怒鳴られるんだ。
そもそもどうして議員が赤じゅうたんの真ん中の入り口で、国民は通用口なんだ。俺は帰りも堂々と真ん中から出る。
そして次に来るときも堂々と真ん中から入る。
どうしても通したくなければ警察を呼んで逮捕してみろ」
結局私は、真ん中から入り、真ん中から出たが、この出来事ほど今の議会制民主主義の歪みを表した象徴的な出来事はないだろう。
まさに主権在民の精神を忘れた代議制度だと言えるのではないだろうか。
議員、代議士というのはその名の通り、主権を持っている我々国民の代理として国会で議論をする人たちだ。憲法で主権在民が謳われているように、一番えらいのは国民であり議員は国民の下僕であるはずだ。それなのになぜ議員が真ん中の赤じゅうたんの入り口で国民が脇の通用口なのだ。
もちろん守衛が悪いわけではない。彼らは職務として決められたとおりにやっているだけだ。
しかし、彼らも長年この仕事をしてきて疑問に思ったことは無かったのだろうか。私と同じ主張をした人はいなかったのだろうか。なぜ主権を持っている国民が通用口で国民の代理人である議員が赤じゅうたんなのかと。
もしかして我々国民もいつの間にか「一番えらいのは議員で、国民はその下」などと卑屈な考えを持ってしまっているのではないだろうか。
ちなみに私はいろいろな国の国家元首を訪問した経験があるが、一度たりとも通用口など通されたことはない。いつも堂々と正面から入っている。
何故自分の国の国会に正面から入れないのだ。
代議制民主主義は、物理的な制約や、情報の偏在、テクノロジーの稚拙さなどで直接民主主義が不可能であった時代での民主主義の実現のため作られたシステムだ。民主主義のシステムの根底にある精神は、主権在民であり、議員は国民の代理であるという考え方のはずだ。
ところが日本においては、戦後の議会制度60年の歴史の中で、いつしか議員が権力を持っているかのごとく扱われ、主権在民の精神は薄らいでしまった。
それは国民の政治への関心の低さにもひとつの原因はあると思う。
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まさに納得といった言葉ですね。
最近でも議員の不祥事などがたびたび報じられ、国民からの信用は失墜していくばかり。
その問題が起きている根底には、議員となった人々が『憲法で主権在民が謳われているように、一番えらいのは国民であり議員は国民の下僕』という意識を持っていないことがあるのだと思います。
そして私たち国民もいつの間にか「一番えらいのは議員で、国民はその下」という考えを持ってしまっていることが、今の日本の議員を作ってしまっているのでしょう。
10年前に書かれた孫さんのブログですが、考えさせられる内容ですね。
Writing by Y.sato of cadot
画像引用元:mnky.jp
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